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BLOG白隠禅師の言葉
おもうに、人間には五漏といって、五つの無益な漏出がある。
すなわち、眼、耳、鼻、舌、身の五官の浪費であり、
色、声、香、味、触の欲望であり、人間の性力を漏らす五欲の穴であり、
この五欲に意欲をくわえた六欲の執着を一切捨て去り、小智才覚をもはなち、
あらゆる思いわずらいをはらい、生まれるときもらってきた、
ただ一つの本然の性である生の一念となって、
五官が外面的作用を停止してしまったときにこそ、
人間本来の性、本然の生気は、脈々と内に働きだし、
真気は彷彿として身心にみちてくるのである。
それ、真の長生不死の神丹はそとから得られるものではない。
なんじに、もとからそなわった本然の性徳をおさめ、
なんじが本源の生気をまもり散らさず、眼はみだりに見ず、
耳はみだりに聞かず、口はみだりに言わず、身体はみだりに動かさず、
心はみだりにうごかさず、真一の生気を臍の周囲から下腹のあいだに
集め養うときは、渾然として元気専一そのものになる。
これこそ丹を練るということである。
「五官と意識の観察と丹を練ること」を
わかりやすく、また出来るようにお伝えいたします。
12月16日