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大悟の養気

太極拳総合教程、陳炎林著より、

ある程度に達したならば、
養気(気を養う。具体的には仙道、道教の静坐)
韜蔵(光り(才芸)を包み隠す。即ち道徳の修養)
という二つの功夫にも力を注いで研究すべきである。
そもそも太極拳の主意は心を陶冶し、神を固め、
気を養って天道に帰すところにある。
決して勝ちを好み激しく戦おうとしてはならない。
有るときも無きかの如く、実なるときも虚のごとくという
涵養の徳を具え、深く秘して外に顕わさず、
決して驕り高ぶってはならない。
世の中には常に強者の上にもさらに強者がいるということを
知っておくべきである。
諺にも言う。
「打たれて死ぬのは拳教師、溺れて死ぬのは泳ぎの名手」と。
身を慎まないと、こういうことになる。
学ぶからには必ず大徹大悟に達しなければならないのである。

平伏して言葉を聞くのみです。
思い出すと、意拳の先生は技や力をあまり見せませんでした。
それに対して私は心中不満もありましたが、
先生の、お顔はいつも穏やかでした。
後からいろいろ大変だった時期のことも聞きました。
それでも先生の態度は一貫して穏やかでした。
後年、生徒が二人しかいない時に、
先生の実力を体感させていただきました。
北京で、お会いした八卦掌の先生は、
道教の修行をしていました。
また、八極拳の先生は、
四川省の山奥の洞窟で修業しているチベット密教僧から
教えをいただいていると話していました。
八卦掌の先生の体は、まるで鋼鉄のようでした。
八極拳の先生は、虎のようでした。
ですが、先生方は少しも尊大なところはなく、
表情は布袋さんのように、にこやかで穏やかでした。
徳を具えているということは、このことだと感じました。

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