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水と生命

生命とは何か? 4

イタリア沿岸のピュタゴラス・アルクマイオン・エンペドクレスについて
ギリシアの植民地は、エーゲ海沿岸だけでなく西方の南イタリアおよびシチリアの沿岸にもつくられた。
西方のギリシア人たちの哲学的気質は、イオニア学派の「存在する物の本質の知的把握」とは違い、自分自身の魂の救済に深く関心をもっていた。彼らの心の傾向は、イオニアの者たちに比べ、開放的ではなく、技術的でもなく、宗教的であり内省的であったともいわれる。(5)
「西方の哲学者で最初で最大の者は、ピュタゴラスである(6)」ピュタゴラス(紀元前582頃~ 紀元前496年)は、イオニアのサモス島から移住してイタリアのクロトン定住した。彼はなかば伝説的な存在となっているが、それは彼のやり方によるものが大きい。肝心な事は、少数の密接な者たちに制限し、弟子たちは秘密を守ることを誓わされていた。秘教的な知識を外部の者にもたらすことを罰した。のちにピュタゴラス教団、宗教教団となっていく。ピュタゴラス哲学の核心は、数学にある。「数は万物の根本であるとし、音階の属性や割合も数で表される(6)」ということを発見した。数が根本であり、感覚は単に二次的なものにすぎないと考えていた。
初期のピュタゴラス学派は、医学にも関心があり、「健康が体内の諸力の均等ないし調和に依存する(7)」調和が崩れると、小宇宙的力の一つが他の諸力を圧迫し均衡が破れる。その結果が病気の諸症候となる。小宇宙と大宇宙の繋がりを考え用いていった。これは、プラトンにも大きな影響を与えていく。
ピュタゴラス学派の根本思想は、均整および調和の理念で、この理念が日常生活から宇宙全体まで支配しているものだとし、万物は宇宙の中心点である中心火の周囲を決まった軌道を通って周行するものだとされた。この周行、円運動が輪廻転生説など大宇宙から小宇宙へとなり、宗教団になったときに強く出てきたものだと考える。
アルクマイオン(紀元前500年頃)クロトン生まれで、ピュタゴラスの影響を受けていたことは間違いないが、表現や考え方がかなり違っている。
彼は神経生理学の創始者といわれており、脳や目、視神経を解剖した。「水とその中の火によって見る」と彼はいい、その水は脳から視神経伝わって、それから同じ神経を伝わって脳にもどるが、その際目の前の火つまり光を運んでいく。「感覚の座は脳である」とし、脳を中心とした考えであり、のちのハーヴェイやアリストテレスの心臓中心とはことなる生理学を提唱していた。(8)
この頃イオニア地方では、医学の祖と言われるヒポクラテス派の経験医学が発展しており、考えが同じ地方のイタリアのピュタゴラス学派の医学とは異なっていた。しかし、アルクマイオンが残したとされる「人間が死ぬべきものである原因は、初めを終わりに結びつけることができないことにある(8)」ということばがある。ピュタゴラス学派の時も出てきたが、円運動は、運動の中でも完全なものであり、天体を見ていた古代人から続く、大切な真理の一つである。季節の循環や天の動きから、円運動を永久で完全な動きとするとき、人間の終わりは、自分の終わりの中に初めがある、これを結びつけることができないとき、死になるということとなる。
エンペドクレス(紀元前490年頃 ~紀元前430年頃)は、
シチリア島のアクラガスで活動していたと言われている。彼は、哲学者でもあり、神秘思想家であり、詩人であり、政治改革者であり、医師であったとされる。弁論術の祖とされる。伝説によると彼の死は壮絶で、エトナ火山で焼死したと言われている。(9)
四元素説を唱えた。物質のアルケーは火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(rhizomata:根)からなり、それらを結合する「ピリア(φιλια philia:愛着)」と分離させる「ネイコス(neikos:憎)」がある。それにより四つのリゾーマタ(四大元素)は、集合離散をくり返す。この四つのリゾーマタは、新たに生まれることはなく、消滅することもない。 このように宇宙は愛の支配と争いの支配とが継起交替する動的反復の場である。魂は、頭や胸ではなく血液にやどっているとした。
「人間は、おもに血液によって考える。なぜなら、この血液において諸元素がもっとも完全に混合されるからである。」「心臓のまわりの血液が人間の思想なのである(10)」
と言っている。また、最初の人間は、土から頭や腕や足などの体の一部が最初にでき、それらが寄り集まって生まれたと説いた。当時、造物主が世界とその住者たちの心に何かの目的をもって設計されたと考えるのが多数おり、この考えはかなり、異端であったと考えられる。エンペドクレスは、生物形態の起源に関し、自然選択による進化の一型を提案したとみられる。

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