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東洋的心気体づくり

生命とは何か? 21 ハレ・ケ・ケガレ論

④ ハレ・ケ・ケガレ論

ケガレという言葉を私もだが、よく使用する。ケガレというものを簡単にみていく。

ケガレは、柳田国男の設定したハレとケという概念をめぐる議論の中から出てきたもので、それに波平恵美子が『ケガレの構造』でケガレは不浄性を示す概念と設定した。桜井徳太郎がケガレについて、ハレとケの媒介項としてケガレを設定し循環論を主張した。

・ハレとは、冠婚葬祭など非日常的な時空で、清浄性・神聖性

・ケとは、労働を中心とする日常的な時空で、日常性・世俗性

・ケガレとは、不浄性、稲穂の霊力であるケが枯れた状態

・ケ→ケガレ→ハレ(ケを回復するのにハレの神祭など)→ケ 循環論(37)

『古事記』からみる穢れは、死の国を訪問したイザナギが死の穢れに触れて、禊ぎ祓を行っている。穢れから神が生まれる。穢れ(ケガレ)死や不浄と概念あるが、そこには神、神聖なるものが生まれる。穢れは、生命のないところから生命を生む力が内包されているということであろう。日本人は、はっきりと区別するのではなく、循環の中に物事があると考える傾向があると考える。ケガレという混沌とした中に、次への生命が内包すること自然と理解し、ケとハレを生活の中に取り入れ、調和して生きてきたと考えられる。

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