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水と生命生命とは何か? 25 武士道
武士道にも徹底的な純粋化があらわれる。
山本常朝やまもとじょうちょうの『葉隠』(聞書)
・武士道と云は、死ぬ事と見付けたり
・一生を見事に暮す
一生はそもそも短いのであるから、生命にもこだわらず、まして己の名利にこだわらず、ただひたすら奉公に徹して一生をつっ切れということである。生への執着、名利への執着、私への執着を捨てきった極限においてあるべきだというのである。(46)
② おのずから
「おのずから」を語源は、岩波古語辞典でいえば、「己つから」であり、「から」は、「生まれつきの意」である。「おのずから」は、主語的存在があり、その動きについて、それが他の力によることなく、その存在に内在する力によってなることを意味するものである。「おのずからなる」とは、自然にそうなっていく様子でもあり、でもそこに、己がないことでもない。平安時末期からよく使用されていた。「おのずから」には、自然にという意味を含み、「おのずから」生きるとは、何かを強引に行うことではなく、自分の最も根源において生きることである。こういう考えから、親鸞上人の自然法爾にもなっていきやすい素地がここにある。(47)
日本人は、死から霊魂を考え、生を考え、生き方を考えている。ケ→ケガレ→ハレの考えを持ち、生の循環をみている。日本人が考える神は、主に先祖でありそれを供養し神となし、その神と交流する考えがある。神は、自然の山や海・土地・天に存在し、身近なものだと考えている。
生き方として、「情」を大切とし、そこに「もののあわはれ」を見てそれを受けとめ、「清き明き心」「正直の心」「誠・誠実」をもって、「真心=うまれつきたるままの心」で、「おのずから」、自然に生きることを求めている。こういう生き方をもって、死というものを超越していこうという考えがあるように思う。
インドや中国のように、スケールの大きい梵我一如や天人合一の考えが全面には出てこないが、今ある世界をあるがままに受け入れ、あくまでも自然に生きていこうとする謙虚さや純粋さがあるように感じる。私は、日本人の文化が好きである。人(情)を重んじ、調和を重んじる、自然に無私でいきたいと願っている。