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水と生命

生命とは何か? 27 密教

第二節 『密教』
松長有慶氏は、密教の生命観の中で、密教では、動植物・日月・山川などあらゆる存在
物に生命を認めるといっている。相良亨 『日本人の心』(48)
密教では、小宇宙である人間が、その本質からすれば、大宇宙にほかならないと説く。
古代インドの梵我一如である。小宇宙としての人間は、そのものの中に、本来的に大宇宙としての仏性を蔵している。大乗仏教の思想である「如来蔵思想」や「一切衆生悉有仏性」を受け継ぐ。
弘法大師空海も、『即身成仏義』において
六大無礙にして常に瑜伽なり(49)
仏、衆生すべてのものは、地・水・火・風・空・識の六大で構成されており、本質的に
変わりはないとも述べられている。密教では、大日如来を中心におく。
大日如来(毘盧遮那仏)とは、宇宙の永遠性や普遍性を仏としたもので、除闇遍明(暗を除き遍く照らす)・能成衆務(光の力によりたくさんの働きを成し遂げる)・光無生滅(しかもその光は滅することがない)性格を持ち、時間と空間を超えた存在。大日如来の悟りの世界は、五智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智・法界体性智)によって表される。(50)
密教では、宇宙の真理=大日如来という観念をもち、大日如来と私たち(衆生)が、本
質的に一緒であり、その大日如来の一部であり、大日如来そのものでもあると考える。大日如来の一部でもある私たちが、大日如来の一部と気づき(宇宙の真理に気づき)、大日如来(宇宙の真理)とともに生きていこうとするのが、密教の生命観ではなかと考える。
これは、人間の本質的な目覚めを求めており、大日如来としての生き方を、人間の生き
方に問う。梵我一如や不良不死や自然に生きることは、違った視点で生きることを説いていると思う。梵我一如・不老不死・自然に生きることは、私たち人間からの視点であり、密教は、大日如来(宇宙の真理)からの視点で、私たちがどのように生きることが、望ましいかを、自分が大日如来としてどうするのかを問われている密教の大切な教えが、ここにあると考える。

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